内容語や代命題は、単独でも命題の中の述語となることができますが、いくつか選んで並べたものも、全体として1つの述語になることができます。 例えば
tu cizra pendo ctuca
という命題を考えましょう。 この命題の述語は {cizra pendo ctuca} という部分で、これは
cizra 「変な」
pendo 「友達」
ctuca 「教える」
という3つの内容語を並べたものです。 この述語が関係づけている項は1つだけで、 {tu} 「あれは」という項です。
この命題の中で、項の役割を与えているのは、述語の中で最後に出てくる内容語 {ctuca} だけです。 {ctuca} の定義では、1番めの項に「教える主体」つまり「先生」という項の役割が与えられます。
述語の中で、 {ctuca} より先に出てくる {cizra} と {pendo} という内容語は、この命題の項の役割には関係ありません。
ですから、この命題の一番重要な部分は {tu ctuca} 「あれは先生だ」というところです。 では、その間にある {cizra pendo} という部分は何をしているかと言えば、先に出てくる内容語が、次に出てくる内容語を、順番に修飾しているのです。
つまり、内容語が {cizra pendo ctuca} と並んでいれば、 {cizra} が {pendo} を修飾し、この2つのまとまり {cizra pendo} が {ctuca} を修飾します。 こうして、この命題全体の意味は、大雑把に言うと、「あれは[変な友だち]の先生だ」という意味になります。
このような内容語の列では、どの語がどの語を修飾しているかという、修飾の構造には、曖昧性がありません。 ただし、修飾する単語の意味については、漠然としています。 つまり {cizra pendo} といっても、友達その人が変であるとは限りません。 変な人の友達かもしれないし、変な雨に降られた友達かもしれないし、変な化石を発見した友達かもしれません。
同じように、 {cizra pendo} というまとまりが、どういう意味で {ctuca} を修飾しているのかということは、漠然としています。 変な友達に教えている先生であるとは限りません。 変な友だちである先生かも知れないし、変な友達と付き合う方法を教える先生かも知れません。
修飾する内容語の意味をはっきりさせたい場合は、もっと複雑な表現を使うことになります。