原発事故現場で働いている人や、原発周辺に住んでいた/いる人たちが緊急に知りたいことは2つある。一つは、今現在受けている放射線が強すぎないかどうか。もう一つは、事故以来受け続けてきた放射線の総量が多すぎないかどうか。今現在受けている放射線の強さは、1時間あたりの等価線量(シーベルト/時)でわかる。事故以来受け続けてきた放射線の総量は、各時間の等価線量(シーベルト/時)を、全部の時間について合計すればわかる。
だけど、事故発生以来、こういう必要な情報がすぐに入手できただろうか?文部科学省が原発から20km以上30km以内の地域の空間線量率を公表しだしたのは、事故から4日後の3月15日だった。地元の人たちは、必要なデータを4日間入手できなかったんだ。さらに、現場で働く人がやけどをするほどの被曝をしたとか、自分の被曝を測る機器が足りないとかいうニュースもある。地震と津波は天災だけれど、データ不足で受けた被害は人災だ。
原発事故現場から遠いところでは、空間線量率(毎時のシーベルト、Sv/h)の増加は微量だから、直ちに危険があるわけではない。だけど、放射性物質の中には、空気や水の流れに乗って遠くまで移動できるものがある。
放射能の話は核物理学という分野に関係するけれど、どの種類の放射性物質がどんな化合物になるか、どういう状態で存在するか、何に溶けるかなどの話になると、化学の分野に関係してくる。
さらに、空気や水で運ばれる放射性物質がどのように移動するかを知るのに必要な分野は、気象学だ。ただし、天気予報が外れることもあることから想像がつくと思うけど、空気や水の流れを正確に予測するのは難しい。空気や水の流れの予測には流体力学理論とカオス理論が適用されるんだけれど、長期予測の計算はカオス理論に従う。だから最初に入力される値がほんの少し違うだけで、大幅に違う結果(カオス現象)が見られるんだ。
放射性物質の化学的形態によっては、生き物の体に取り込まれることもあるし、その生き物が移動すれば、放射性物質も移動する。さらに食物連鎖で生物濃縮される可能性もある。こういうことを正確に知るためには、生化学や生態学の知識が必要になる。
そして、放射性物質が呼吸や食事を通して人体に入った場合、内部被曝の恐れが出てくる。弱い放射線でも長期間浴び続けると癌や遺伝病をもたらすリスクがあり、この問題について知るには医学の知識が必要になる。ただし、100ミリシーベルトより少ない被曝については、どの程度の被曝でどの程度のリスクがあるか、はっきり分からない。ICRP は「どんなに微量でも癌や遺伝病をもたらすリスクがある」という考えだ。被曝が微量な場合のリスクの大きさについては、ICRP より大きめに見積もる人もいる。ほかに、「一定の量を越えなければリスクは無い」と考える人もいるし、なかには「微量なら体に良い(ホルミシス仮説)」という考えさえある。どの考えについても決定的に否定したり肯定したりできるような実験的な裏付けは得られていない。
こういった難しさもあるんだけれど、とりあえず必要なデータは、食べ物や水の中の放射能の濃さ(ベクレル/kg)と放射性物質の種類、そして、放射性物質の化学的状態とその性質だ。このデータがあれば、実効線量換算係数を使って、内部被曝の可能性を予測できる。
だけど、今そういうデータが十分に報道されているだろうか?関東の水については、ある程度報道された。でも、それ以外のものについては、とても十分に報道されているようには見えない。データは各地で公開されているのだから、自分で調べられる。例えば科学者が整理している公開データのページでデータをチェックすることができる。公開されたデータが全部報道されるわけじゃない。もちろん、必要なのに公開されていないデータはいろいろあるけれど、すでに公開されているデータくらいは自分でチェックすると良い。せっかく公開されているデータをチェックしない人が多ければ、自分で食べても良いと考える農産物や水産物を正しく選ぶことはできないし、放射性物質の含有量に関係なく捨てられる産物が増えてしまうだろう。
以上の話は、原発事故が起こってしまった今となっては欠かせない基礎知識なんだけれど、話の中で触れたように、問題は核物理学の分野だけにとどまらず、化学・気象学・生化学・生態学・医学といった、多くの分野に関係してくる。理科に詳しい人だって、自分の専門外のことについては、ここに書いた程度の知識しか無いんだ。自称理科系の人のなかには、理科に疎い人の無知を嗤う人もいるかもしれないけれど、それは目くそが鼻くそを嗤うようなものだ。理科か文科かに関わらず、今、御用学者にも無用学者にも騙されずに、理性的に行動するためには、だれかの意見を「信じる」ことではなくて、生データから自分で判断することだ。