ロジバンの否定の表現は、他にもまだあります。 「命題が正しくない」という意味の否定には {na} という「命題の否定」をあらわす単語に、名辞の区切りをあらわす {ku} を付けた {naku} という表現を、文の中に入れます。
{naku} は本来、冠頭に入る名辞です。 ただ、後で詳しく申し上げますが、冠頭を省略した形では、命題の中の名辞が入れるところなら、どこにでも置くことができます。
意味上は、文の中で、本来の冠頭のnakuより後に出てくる部分全体を否定します。 例えば
naku roda zo'u da kukte
という命題を考えましょう。 これは {roda zo'u da kukte} という部分全体を否定する表現です。
roda zo'u da kukte 「全部おいしい」
(roda zo'u 「議論領域の中の全てのものについて」、 da kukte 「それはおいしい」)
これを {naku} で否定すると「全部おいしいというのは正しくない」つまり「全部がおいしいわけではない」という意味になります。 「全部がおいしいわけではない」ということは、 「おいしくないものもある」と言い換えても、同じ意味ですね。 {naku roda zo'u da kukte} というロジバンの文も、同じように言い換えることができます。
su'oda naku zo'u da kukte 「おいしくないものが少なくとも1つ存在する」
(su'oda 「少なくとも1つのものが存在し」、 naku zo'u 「次のことは正しくない」、 da kukte 「それがおいしい」)
これは「おいしくないものが少なくとも1つ存在する」つまり「おいしくないものもある」という意味になります。
{naku} を使った文も、冠頭の名辞の順番を変えない限り、冠頭を省略した表現に言い換えることができます。 {naku roda zo'u da kukte} 「全部がおいしいわけではない」という文は、
naku roda kukte
と言っても同じ意味です。同じように {su'oda naku zo'u da kukte} 「おいしくないものもある」という文も、
su'oda naku kukte
あるいは
su'oda kukte naku
と言い換えることができます。 このように、本来冠頭の名辞である {su'oda} と {naku} の出てくる順番を変えない限り、冠頭を省略した形では、 {naku} を文の最後に移動しても、文全体の意味は変わりません。
{na} という単語は、 {ku} を付けずに単独で述語のタグ としても使えます。 例えば
ti na kukte 「これはおいしくない」
という使い方です。
ロジバンのもともとの意味論では、述語のタグとして使われる {na} が否定する範囲は、冠頭の最初の {naku} と同じで「命題全体に係る」という解釈をしていたのですが、この解釈は、論理接続と一緒に使われる場合に不都合があることがわかっています(lojban.org : "scope of na" (英語))。 論理接続については、この講座では残念ながらお話しする時間がないので、 詳しいことは申し上げられないのですが、そういう不都合を避けるために、 述語のタグの {na} についても「命題の中でその {na} より後に出てくる部分だけを否定する」と解釈することが提案されています。 将来は、この解釈のほうが正式に採用されるかもしれません。
例えば {su'oda na kukte} という冠頭省略形の表現を、冠頭形に戻してみましょう。このとき、述語のタグ {na} は、冠頭形にするために {naku} という名辞に変えられます。
旧解釈に従うと、冠頭形は {naku su'oda zo'u da kukte} となり、 {na} は {su'oda} を含んだ命題全体を否定することになります。
一方、新解釈を採用すると、冠頭形は {su'o da naku zo'u da kukte} となります。 この場合、冠頭での名辞の順番は、冠頭省略形の命題の中での順番と変わらず、 {na} による否定は {su'oda} には係りません。