どの程度なら大丈夫なの?

急に大量の放射線を浴びると、血を作る細胞が減ったり、やけどしたりする。こういう害を「確定的影響」という。だいたい500ミリシーベルトより少ない被曝では、確定的影響が見られない。
被曝量が少ないと、確定的影響は無いけれど、将来癌や遺伝病を起こすかもしれないという害がある。こういう害を「確率的影響」という。確率的影響の大きさをあらわすために、「リスク」という指標を使う。

被曝した人自身は確定的影響や確率的影響という害を受けるけれど、そのまわりの被曝してない人にはまったく害が無い。被曝した人に触っても、まったく問題ない。もし、被曝した人を遠ざけようとしたり、被曝した人をいじめたりする人がいたら、ひどい差別だから注意してあげよう

それから、ここはみんなに放射線の基礎知識を提供するページだけど、「放射線が怖い」という気持ちが、差別につながらないように、ひとつだけ紹介しておきたい文章がある:
堤愛子: 「ありのままの生命」を否定する原発に反対,『女たちの反原発』(労働教育センター)所収, 1989年3月
これは、人間としていちばん大事なことだからね。

リスクって?

「たくさんの人が同じ量の被曝をした場合、その人たちのうちで健康を害する人が何人増えるか」という割合がリスクだ。

何の割合を出すか、どんな条件を考慮するかといった、リスクを見積もる方法は、人によって違う。ここでは、 ICRP の2007年の勧告と ECRR の2010年の勧告について見てみよう。

国際放射線防護委員会 (ICRP) の2007年の勧告 Publication 103 の考え

ICRP Publication 103 では、被曝した人たちの中から、癌になった人の割合や、遺伝病を起こした人の割合などを計算して、リスクを見積もっている。過去の文書で発表されているリスクと比較するために、「癌や遺伝病で死ぬ人が何人増えるか」というリスクに換算した割合も計算している。人は皆いつかは死ぬんだけれど、その死因が癌や遺伝病になる人の割合だ。

ICRP の見積りでは、少量の放射線を長期間浴び続けた場合、癌や遺伝病で死ぬリスクはどのくらいあるんだろう?

100ミリシーベルト以上の被曝をした場合については、統計的な結果が得られている。 ICRP Publication 103 の付録 A.4.4 の (A164) によれば、 被曝量が1シーベルト増えると、癌で死ぬリスクが0.055(1000人に55人の割合)増え、(子孫が)遺伝病で死ぬリスクが0.002(1000人に2人の割合)増える。

被曝量の増加が1シーベルト以外の場合についても、この比率で被曝量に応じてリスクが増減する。 たとえば、被曝量が200ミリシーベルト増える場合のリスクは、1シーベルト増える場合の5分の1だ。つまり、全人口の1000人あたり、癌で死ぬ人が11人増えるリスクがある。 被曝量が2シーベルト増える場合のリスクは、1シーベルト増える場合の2倍だ。つまり、全人口の1000人あたり、(子孫が)遺伝病で死ぬ人が4人増えるリスクがある。

被曝量の増加が100ミリシーベルトより少ない場合のリスクは、統計から分からない(2.2節の (36))。それでも、ICRP の勧告では、100ミリシーベルトより多い場合と同じ比率で、被曝量に応じてリスクが増減するという仮説に基づいて計算する。たとえば被曝量が1ミリシーベルト増える場合のリスクは、1シーベルト増える場合の1000分の一だ。つまり、全人口の百万人あたり、癌で死ぬ人が55人増えるリスクがある。

欧州放射線リスク委員会 (ECRR) の2010年の勧告 の考え

ECRR は、ICRP の出したリスクが主に外部被曝のみの影響しか考慮していないと考え、それに加えて内部被曝のリスクを考慮している。また、癌と遺伝病以外の健康被害についても考慮している。

ICRP の等価線量で100ミリシーベルトより少ない被曝の影響について、統計的に意味のある結果が得られないということは、 ECRR も認めている。しかし、ECRR の2010年の勧告の8.2節では、リスクを計算するために2つの決定をしている。

  1. 健康被害が増えたのが被曝のせいかどうか、統計的に意味のある結果は得られなくても、わずかでも害が増えた分は被曝のせいだと見なすこと。
  2. ベイズ統計学を使うこと。
第1の決定は主観的な仮説であって、科学的に実証されてはいない。しかし、第2の決定と組み合わせることによって、ある程度意味を持った行動指針としてのリスクを計算することができるようになる。

仮説検定を使うような、ベイズではない統計学では、調べるサンプルの数が少ないと、統計的に意味のある結果が得にくい。一方、ベイズ統計学では、まず主観的な予想をたてて、新しいデータが得られるたびに予想を修正していくという方法を使う。修正された予想(リスク)も主観的であることに変わりないが、修正された分、最初の予想よりは当たりやすいものになる。

最初にたてる予想は、いろいろな科学的根拠を考慮しているにしても、多かれ少なかれ主観的なので、データが少ないうちはリスクが信頼できないこともある。とくに、ECRRの福島リスク計算は妄想の産物 - buveryの日記で指摘されているような、正当性が疑われる論文を根拠にするのは避けるべきだろう。しかしベイズ統計学は、大量のサンプルがなくても、修正を重ねることによって、主観的ではあるけれども実用的な情報が、次第に形作られていくという点で、リスクを計算するのに適している。

リスクの計算にベイズ統計学を使う理由についてもう少し詳しく知りたい人は「なぜベイズ統計はリスク評価に適しているのか?:その哲学上および実用上の理由 - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ」のプレゼン資料を読んでみてね。

ECRR の2010年の勧告では、 被曝量が生物学的実効線量で1シーベルト増えた場合について、例えば以下のようなリスクが見積もられている。

ただし、 ICRP と違って ECRR は、乳児や胎児への影響が被曝量に比例するようなものではないと考え、微量の被曝による乳児や胎児への害のリスクを ICRP よりも多く見積もっている。

「胎児の親の被曝量が1年あたり生物学的実効線量1ミリシーベルトから5ミリシーベルトまで」という範囲内で適用される、被曝の増加1ミリシーベルトあたりのリスクは、以下のように見積もられている。

ECRR のリスクを ICRP のリスクと比較する場合に注意するべきことは、ICRP の被曝量が実効線量で書かれているのに対し、 ECRR の被曝量が生物学的実効線量で書かれていることだ。 ECRR の言う「~シーベルトあたり」というのは、具体的な個々の場合について ICRP の実効線量で考えれば、もっと小さい値に相当することが多いだろう。こう考えると、 ECRR は全体として、 ICRP より少ない被曝のリスクを ICRP より大きく見積もっていると言える。

ECRR が使っているベイズ統計学の特徴から、このリスクは今後どんどん改訂されるべきものだ。現段階で見積もられているリスクが信頼に値するかどうかは、みんながそれぞれ主観的に判断しなければいけない。

被曝限度

ICRP と ECRR では、それぞれの方法で見積もったリスクに基づいて、被曝を許す限度を提案している。

ICRP Publication 103 (2007) の場合

国際放射線防護委員会 (ICRP) については、年間被曝限度を引き上げた話でニュースに出てくるね。限度を引き上げたことから想像できるだろうけど、限度の決め方は、科学的な根拠だけでなく、社会的な根拠にも基づいている。 ICRP Publication 103 の2.1節の (26) には、「被曝に関係しうる人間活動を過度に制限することなく、被曝の害から人々とその環境を守る」ことが勧告の目的だと書いてある。ICRP の勧告は、「限度以下なら安全だ」と宣言するものではなく、「被曝は怖いけれど、放射線を避けてずっと鉛の箱に閉じこもっているわけにはいかないから、このくらいなら大して害はないので我慢してほしい」といった程度の基準なんだ。

また、ICRP Publication 103 の2.1節の (29) に書かれているように、ICRP の勧告は、確定的影響を「避け」、確率的影響の「リスクを減らす」ように被曝を制限することを目的としている。つまり、被曝量を制限することによって、確定的影響は避けられるけれど、確率的影響は完全には避けようがなくて、リスクを減らすことしかできない。

下の表に書いたような被曝限度の基準は、こういう前提で決められている。こういった基準値をどう解釈するかは、みんなが自分で決めることで、他人、ましてや国や電力会社が解釈を押し付けることはできない。

ICRP Publication 103 (2007年)より、被曝限度
被曝限度放射線防護のために要請されること
一般人 平常時年間1mSv、特別な事情がある場合は5年間の平均が1mSv(5.10節の (243))一般的な被曝情報が必要。放射線を受ける過程や放射線量を定期的に調べる。(5.9.3節)
緊急時年間20mSvから100mSvの間(6.2節の (278))なるべく被曝を減らすように努力する。(5.9.3節)
作業員 平常時5年間の平均として1年あたり20mSv、ただし1年間限りであれば上限は50mSv、5年間の上限は100mSv(5.10節の (244))20mSvまでの場合、できれば被曝を減らすための情報が必要。それを越える場合、なるべく被曝を減らすように努力する。(5.9.3節)
人命救助(志願者のみ)相手の利益が救助員のリスクを上回る場合、無制限(5.10節の (247))緊急事態の後の復旧作業には平常時の限度に戻る。(5.10節の (247))
それ以外の緊急救助(志願者のみ)一度に1000mSv(重い確定的影響を避けるため)か500mSv(確定的影響を避けるため)(6.5節の表6.2)緊急事態の後の復旧作業には平常時の限度に戻る。(5.10節の (247))
それ以外の救助一度に100mSv以下(6.5節の表6.2)なるべく被曝を減らすように努力する。(5.9.3節)

ECRR (2010) の場合

ECRR は ICRP とは違う生物学的実効線量について、 ICRP とは違う方法で計算したリスクに基づいて、以下のことを勧告している。

ここでも、シーベルトの値は実効線量ではなくて生物学的実効線量を表しているので、 ECRR の限度を ICRP の実効線量で言い換えると、もっと小さい値に相当するだろう。 結果として、 ECRR の限度は ICRP の限度よりもはるかに厳しい限度になっている。

「被曝量を計算してみよう」のページを見て、自分や家族の内部被曝量を計算して ECRR の限度と比較したいときは、 ICRP の表ではなく、 ECRR の表を使わなければいけない。

どっちを選べばいいの?

ICRP にしても ECRR にしても、「実効線量100ミリシーベルトに満たない被曝をした場合のリスクは統計的に分からない」という点では一致している。 それより少ない被曝をした場合については、それぞれの仮説に基づいてリスクを計算し、そうして得られたリスクに基づいて限度が提案されている。 そして、どちらが支持する仮説も、まだ実証されていない。 だから、どちらの言い分が正しいか、科学的にはまだわからない。

そういうわけで、100ミリシーベルトより少ない被曝をした場合について ICRP や ECRR が出したリスクや、それに基づく被曝限度をどう受け止めるか、今のところ科学的に決まった答は無い。 リスクや限度をどう受け止めるかということは、みんなが自分の信条に照らし合わせて、自分で考えて、自分で決めるしかない。

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